日本司会芸能協会の歩み

■ 2011年10月14日発行の協会広報誌「恵夢誌」より


1986年
初公演のポスター

1993年
日本司会芸能協会まつり
となりました
1986年1月10日に発足した協会はその年の7月29日に上野精養軒で発足記念パーティを開催。

記録によれば出席者には春日八郎・五月みどり・こまどり姉妹・金田たつえ・山本譲二・ 大鵬親方・
獅子てんや・瀬戸わんや・東けんじ・宮城けんじと云った方々の名前が並んでいます。

5周年は1990年9月「感謝の夕べ」と題し新宿東京大飯店に於いて、
10周年は「記念新年祝賀会」として 1995年1月、池袋のホテルメトロポリタンで、
2001年1月には「おかげさまで15周年」のタイトルで祝賀会を日比谷の帝国ホテルで開催。
縁深き歌手の皆さんや演芸家をはじめとする多くの芸能界関係者の出席を頂いて 開催して来ました。

1995年 10周年の集大成!!
渋谷公会堂超満員の観客席
2001年 おかげさまで15周年!!
帝国ホテルにて

■ 1996.9.6 日刊スポーツより

日本各地で活躍している歌謡ショーなどの司会者が一堂に会するイベント「日本司会芸能協会まつり」が5日、東京・五反田ゆうぽうとで行われた。同協会に加盟している司会者45人が、五月みどり(56)新沼謙治(40)ら16人の歌手のステージの司会をそれぞれ務めるという変わった趣向のイベントで、今年で11回目になる。
協会顧問で、五月と新沼を担当した玉置宏(62)は「今の司会者の大切な仕事は、常にお客さんの前で歌手が気持ち良く歌えるようにすることです。それに、アクシデントが付き物ですからアドリブもこなせなければ」と司会者の条件を話していた。

■ 1997年 恵夢誌第10号より


綾小路きみまろ
考えれば世の中には芸人として有名になれた幸せとなれない幸せというのがあって人間それぞれに与えられた天分に感謝し精いっぱい生きることが最良の幸福のような気がしてならないのであります。
天に与えられた器の中でもっと良くなりたいという気持ちを高めていることの幸福もあるのではないでしょうか。高めていることには失敗はつきものです。  

想えば数え切れないほどの舞台で失敗(私生活も含め)そのあらゆる失敗の裏には必ず納得のいく答えがありました。人生はその答えの積み重ねのような気がします。  

どんなに時代が変わってもみんなが暗さよりも明るさを、涙よりも笑いを明るく愉快であることを舞台に求めている筈です。笑いは人間だけがもつひとつの批評です。
私はその笑いを明るさを追い求めて生きていきたいと思っております。


■ 2001年 恵夢誌第14号より


名誉顧問を務めた
コロムビア・トップ
思えば宮尾たか志君が病室で幽明の境を彷徨する時、病院サロンに集まった友人知人が僅か3人、同じ志を持った仲間が今生死の境にある時、あまりにも淋しいのではないか、司会業はあくまでも個人の芸域とはいえ、同じ舞台に立った同志じゃないか。
「司会者の会は、どうなったの?確かあったはずなんだけど、新橋に事務所があったと思ったけどなぁー」と私の発言から始まったのがこの会です。
別に相互の援助会ではありませんが、少なくとも精神的な支えにはなる集団になったと自負しております。
会員一人々々の努力が確実に重ねられた15年です。
お交際頂いた歌手の皆さんにもお力を貸して頂き毎年、司会芸能協会としてのイベントをさせていただけるのも、会員個人の不断の責任感念の結果が周囲の方達に理解していただけた証左と信じております。
尚今年より当会の会長が、二見朗君から玉置宏君に交代しました。


■ 玉置宏インタビュー 2001年2月6日 東京新聞より


玉置宏
「話術としてショーの流れをつくるのが司会と思われていますが、話芸にまで向上させたい」と熱っぽく語る。
このほど日本司会芸能協会の四代目の会長に就いた。舞台や放送、各種イベントなどでの司会を職業とするプロの技術向上や親ぼくなどを目的に、1985年に創立された日本司会芸能協会が、89年に現在の名称になった。

同時にテレビで人気の徳光和夫さんを顧問に迎え、応援団長として毒蝮三太夫さんが参加。
協会と司会という仕事への注目度をアップさせようという狙いだ。 ステージショーといえば、タキシード姿の司会者が定番だった時代は過ぎた。 「カラオケイベントなどが増え、会員の仕事の場は減っていませんが、生バンドなどが入る華やかな仕事は減っている」と残念そう。
復活した舟木一夫、西郷輝彦、橋幸夫の "御三家" のショーの司会で各地を回っている。
「歌い手さんに安心してもらえるように心掛けています。45年この仕事をしていますが、3人に負けない拍手をお客様にいただけたときは、舞台のだいご味を感じます。」


2003年 第18回協会まつり 2004年7月より浅草東洋館にて人材育成事業を開始 2006年 創立20周年祝賀会 華やかに開催
創立20周年祝賀会は平成18年2月8日、丸の内の東京会館での開催でした。
人間国宝で日本芸能実演家団体協議会(芸団協)野村萬会長、日本演芸家連合三遊亭金馬会長、日本歌手協会青木光一会長 (当時)はじめ、水前寺清子、原田直之、小野由紀子、扇ひろ子、安倍里葎子他歌手の皆さん、そして作曲家の今は亡き三木た かし先生がお祝いにかけつけて下さいました。
そして平成22年3月5日(金)東京ドームホテル「天空」にて、創立25周年祝賀会を開催致しました。
お客様・会員あわせて370名の盛大な会となりました。
尚、祝賀会開会の前、2月11日に逝去された玉置宏名誉会長に全員で黙祷を捧げました。

2010年 創立25周年記念公演  第25回協会まつり  玉置宏追善・昭和歌謡史
左記の写真のように八代亜紀さんをはじめ、秋岡秀治さん、安倍里葎子さん、大川栄策さん、扇ひろ子さん、キム・ヨンジャさん、古都清乃さん、新沼謙治さん、畠山みどりさん、浜博也さん、真咲よう子さん、宮史郎さん、森本英世さん他、多勢の皆様が25周年記念公演のフィナーレを飾って下さいました。

『初心 忘るべからず』
会員一同、話芸により一層磨きをかけてまいります。
皆様のご声援よろしくお願い致します。

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協会初公演 1987年7月31日
板橋区立文化会館
創立5周年感謝の夕べ
1990年9月 新宿東京大飯店
第10回協会まつり
創立10周年記念公演
第12回協会まつり
1997年10月22日渋谷公会堂
第13回協会まつり
1998年9月30日中野サンプラザ
第14回協会まつり
1999年9月27日中野サンプラザ
第16回協会まつり
2001年10月15日中野サンプラザ
第17回協会まつり
2002年10月7日中野サンプラザ
第17回協会まつり
2002年10月7日中野サンプラザ
第18回協会まつり
2003年10月8日中野サンプラザ 
第19回協会まつり
2004年10月6日中野サンプラザ
第19回協会まつり
2004年10月6日中野サンプラザ
第20回協会まつり
2005年10月5日
第21回協会まつり
2006年9月14日中野サンプラザ
第21回協会まつり
2006年9月14日中野サンプラザ
第22回協会まつり
2007年9月13日中野サンプラザ
第24回協会まつり
2009年10月22日中野サンプラザ
第25回協会まつり
2010年10月21日中野サンプラザ
第25回協会まつり
2010年10月21日中野サンプラザ
第25回協会まつり
2010年10月21日中野サンプラザ
第26回協会まつり
2011年10月14日中野サンプラザ
第27回協会まつり
2012年10月11日中野サンプラザ